無題
あなたは車に乗って深夜の道路を走っている。同乗者は誰も居ない。走っているのは少し広めの一車線の道路。車の前照灯に照らされた道路の一部と、矢印型の誘導標、そして時折すれ違う対向車の灯りを除けば、周りに広がるのは暗闇だけ。あなたは今旅行中で、今日の最後の目的地を目指して、ただ車を前へと走らせている。
道路沿いに並んでいた木々が開けたのか、ふと右斜め前方に、無数の小さな光の点が現れる。どうやら、遠くに町があるようだ。目的地でも経由地でもない、名前すら知らないような町。その町の街灯や建物の光が、暗闇の向こうから、小さく、しかし確かに目に映っていた。
───こんな時、あなたならどんな感情を抱くでしょうか。「綺麗だな」と思うのか。特に気には留めないのか。はたまた、その光のある向こう側に思いを馳せるのでしょうか。
時々、車で旅行に行くことがあります。目的地は事前にざっくりと決めますが、細かいルートやスケジュール、具体的な訪問場所は決めないことが多いです。その時の気分に任せたり、現地の人から話を聞いたりなどして、旅先でどこに向かうかを決める方が好きだからです。
ナビは見ず、何となく方向を決めて、ひたすらに車を進め続ける。曲がりたい気がする場所があったら、そこで曲がる。何となく気になる場所があれば、近くの駐車場に車を停めて降りる。その繰り返しです。
無謀だと思う人もいると思います。その通りです。実際、自分が今どこにいるのか、どっちが目的地なのか、真面目に分からなくなることもあります。しかし本当にダメになるまでは、ナビを見たりはしません。頑張れば割と何とかなるからです。それに何より、私自身にも、行く当てのない無計画な旅を求めている節があると感じているのです。
私の持論ですが、旅行の醍醐味の一つに、未知の物と出会うというのがあると思っています。ルートや目的地が細かく決まった旅行であったとしても、観光地の景色やそこでの経験は、新鮮な体験として記憶に残るでしょう。日常に退屈を感じている人にとっては、そうした体験が失いかけていた感受性を呼び覚ましてくれるのです。
ルートを決めず、ナビも見ないような旅行であれば、「未知」なことはより一層増えます。ナビに示された経路を行くのではなく、自分で道を決める必要がある。それはそれとして、何となく行きたいと思った方向には向かってみる。「この方向であっているのだろうか?」という不安と、「この先には何があるのか?」という期待を抱えながら、見たことのない景色が周りに広がっている道路を、 ただアクセルを踏んで進んでいく。目的地だけでなく、そこに至るまでの道中すべてが、鮮烈な体験となって、景色とともに記憶に刻まれていきます。
そんな旅行をしていると、普段よりも「道中の景色」に意識が向きます。窓の外に広がる一面の草原や畑、道路の奥まで並んでいる電柱、遠くに見える送電線の鉄塔。そういった何気ない景色であっても、旅行先で目にすると、こんな風に考えることがあります。
私がここを通る前から、あの草原や畑は、 ずっとここに存在し続けていた。私がこの場所を全く意識していなかった時に、あの電柱や鉄塔を立てた人々がいた。そして私の知らない場所で、今に至るまで時間を重ね続けてきた。
一人の人間にとっては、今自分が見えているもの、聴こえているもの、感じているもの、そして自身のこれまでの経験だけが、世界のすべてを構成するでしょう。道中の景色を眺めるという事を通して、観光地ですらない場所が細々と積み上げてきた、誰にも見向きされないような、自分の知らない歴史について思いを馳せるというのも、私にとっては旅の楽しみの一つです。
最初に、「暗闇の向こうに見える町の光」についての話をしました。その時に目に見えているのは、横一列に並んだ、無数の光の点の連なりだけです。ですが、目には見えなくとも、そこには確かに町が存在しています。あの明かりの下にはたくさんの建物があり、その屋根の下で暮らしている人たちがいます。今まで自分の人生の全く外側にあった、暗闇の奥のような場所でも、自分と同じように生きている人々がいる。当たり前のことですが、旅の途中でこういったことを改めて考えると、不思議な気分になることがあります。
「少女終末旅行」という作品があります。二人の少女が、荒廃した世界を旅行する物語です。作中で、かつての住居だった場所を探索しながら、昔の「家」について想像を膨らませたり、潜水艦の中でカメラに眠っていた過去の写真を見て、昔の人々について考えたりする場面があります。
そこで映るのは、今の私たちにとっては当たり前ともいえるような日常の数々です。しかし、すでに文明が滅んだ世界を生きる二人にとっては、まさしく「自分の知らない世界」です。かつて家だった場所や、カメラの写真を通して、知らない世界を覗いているのです。今私たちが生きている世界はまだ滅んではいませんが、目的のない旅の目的というのは、意外とこういうところにあるのかもしれないと、私は思っています。
少し話がそれます。世に存在する物語すべてに関連した話ですが、「ある物語を初見で鑑賞する」ということは、たった一度しかできません。一度見た物語は、二度と初見で見ることはできません。至極当然の事でしょう。
旅行においても、ある意味同じようなことが言えると思います。ある景勝地に初めて訪れるという事と、再び訪れるという事は、体験としては異なるものです。二回目以降に訪れるときには、常に初めて訪れたときの経験が頭の中にあるからです。
もちろん、だからといって、初見でない場所へ行くことには価値がない、ということは全くもってありません。景勝地でいえば、同じ場所でも季節や時間帯によって異なる顔を見せることがあるからです。また、過去に訪れた経験があるからこそ、改めて見えてくる物というのもあるでしょう。観光地というのは、来たことのある回数に関係なく、多かれ少なかれ「初見」の要素があります。
ですがそれでも、完全に初見であるという体験は格別なものです。なぜなら、見えるもの聴こえるもの感じるものすべてが、全く新しいものだからです。物語などの作品にも言えることですが、まるで情報の洪水に飲まれるかのような、心を揺さぶられる体験は、それこそ初見の時にしか味わえないと思っています。
余談ですが、私はもし叶うのであれば、「Blue Archive / あまねく奇跡の始発点」をもう一度初見で読みたいと思っています。「情緒がぐちゃぐちゃになる」という事を心で実感できたのは、この物語を読んだ時が初めてだったからです。2部はどうなるのでしょうか。金れんちょがどんな結末を迎えるのかを楽しみにしています。
ここまで長々と書いてきましたが、つまるところ私は、「それが些細な物だとしても、見たことのないものから色々想像を広げられるような感受性を、常に持ち続けていたい」と思っています。それに一応、私も創作者の端くれだと思っているので、感受性というものは殊更大事にしていきたいです。創作物の源流というのは、創作者の心の中の体験の積み重ねと、そこから生じる思想であると考えているからです。
旅行というのは昔から、私にとってはそういった事について想像を膨らませる良い機会でしたし、今でもそうです。 もちろん、これからも無謀な旅行は続けていくつもりです。最近は前より積極的にアニメを見るようにもなったので、アニメ含め、世に無数に存在する「初見」の作品からも、いろいろな体験を摂取していきたいと思っています。
以上です。ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
(執筆者 : KT)
幹部アンドロイドのデザインの話(人骨)
初めまして、高潔圧です。HAL三年目でクリスタで絵を描きます。
みなさん2025年度に制作した最新作「人骨とアンドロイド」はみて頂けたでしょうか。 先日HALのチャンネルで初の一万回再生された作品になりまして、アニ研では歓喜の嵐。 4カットしか作画していない私でもなんだか感無量って感じです。
そんな「人骨とアンドロイド」では幹部アンドロイドなるキャラ達が出てきます。
この画像の(中心にいる議長ちゃんは除いた)背の高いやつらです。
このキャラデザをさせてもらったのですが、なんやかんやで凄い時間がかかりました。
技術力不足、心持ち、冬の雪の多さ、前作「喫茶店」の作業に全然手をつけてなかった、など色んな原因があったとは思いますが
とにかく難産だったんです。
そのせいで日の目どころか監督の目すら見てない没案があります。資料集を出すときにデータをまとめるのが間に合わなかった以上、これはもうここでお披露目するほかありません。 アンドロイドデザインにまつわる私の自分語りを「拳を出そう」に書き連ねることにいたしましょう。。 それでは本邦初公開、幹部アンドロイド第一案をご覧ください。
本当にひどい。こんなのが八体いて画面が持つでしょうか。
この時はとにかく自分を出そうという思いと、機械キャラを描いてやろうという気持ちが空回りしてましたね。
コンセプトとしては監督が挙げてくれた参考キャラ、アンブラハンズのみなさんを参考に「微妙に個体ごとに違う仮面を付けさせて、体はターミネーターを簡略化したやつ」でいこうという考えでした。
しかしこれは気持ち悪いですね。スマートな人型ロボにも有機的なロボにもなれていない。
無駄に線が多いわりに印象に結び付いていない。これを何カットも描く人の気持ちを考えているんでしょうか。
とにかくハイテンションで描いた後、一晩寝たら自分でも「なんだこれ」とはなりましたが、これを出発点としてちょっと右往左往した結果第二案がこんなもんです。
腰というか背骨みたいな部分のなんか嫌な感じは残っていますが私としては愛着があるデザインです。
当時色んなメカの資料を探してネットサーフィンしているときに見た、ガンダムは鎧とか日本人形をモチーフにしているみたいな話を
参考にネクタイや背広を意識したつもりで作っています。その割に下半身は当時やっていたジークアクスとかを参考にしたりするからぐちゃぐちゃしてます。
この後色々悩んで体エヴァっぽくしてみた後、なんか天啓が降ってきて
「そういや監督のオーダーの服着てるメカって設定無視してたな」
「なんか生き物の顔とか参考に仮面作ったらよくね」ってなってあのデザインになりました。
ゾウは発案したときはスマートな顔にする予定でしたが、異質な一体を作るためにずんぐりむっくりの異形に差し替えたという経緯があります。
衣装は元々はシンプルな軍服でしたが、機械っぽい部分を出すために特殊な服にしようということでピエロの、なんか球がついている部分を参考にして作りました。が、画面に映ってるシーンほぼ無いんじゃないかな。
色々調整して結局半年ぐらい作業の足を引っ張りました。「人骨」制作に携わった皆さん、本当にごめんなさい。
余談ですが仮面のデザインのモチーフは犬、猫、馬、出目金、ゴリラ、カブトムシ、コオロギ、ゾウです。犬と猫は最初に作った奴らで、耳が上向いている二つなのが犬、下に垂れているのが猫と覚えて頂けたらば。猫の下の部分はタテガミのつもりだったり。
中身のない自分語りに付き合って下さりありがとうございました。なんか変遷を追ってみるとそこまで難産でも無かったかのような気がしてきます。何に半年をかけたのか……。
このキャラデザはとても楽しい仕事でした。自分の好きなものをどう乗せるか、どんどん新しいものを調べて、監督とやり取りして。
作るのも楽しかったけども見てもらえるのもうれしい。主人公やストーリーと一緒に一万回も僕のデザインしたメカが見られていると思うと胸が踊りますね。
こんな機会を与えてくれた柚木監督、先輩後輩入り乱れた「人骨」制作メンバーには本当に頭があがりません。
みなさんがどんな思いでHALのホームページを見てくれているかわかりませんが、自主製作アニメとか作ろうとしている方がいるなら、キャラデザは楽しんでください。色んなものをつぎ込んで右往左往するとよいでしょう。
特に自分が想像している場面を仮デザインで描くとワクワクしますよ。
あとなるべく描きやすいデザインにしようね。自分でデザインしたキャラで4カット苦しんだ高潔圧との約束です。
(執筆者:高血圧)
